思えば小学二年の時に転校してきた私に初めに声をかけてくれた彼。
以来、腐れ縁のように付き合ってきましたが、その彼が先日他界いたしました。
彼を死に誘った原因は肺がん、昨年初秋の検診で発覚し治療を続けていたが容態が急変したとのことでした。
昔から、成績をはじめとして様々なことを(笑いながらですが)競ってきた関係でしたが、結局何一つ私が彼を超えることはありませんでした。
まさか、癌二年生の私のほうが一年生の彼に追い抜かれ、先に人生を卒業するとは。。。結局、最後まで彼には追いつくことはできませんでしたねぇ。
癌を患ったと言っても、私は「横行結腸」と「肝臓」で、彼は「肺」。
肺癌で義父を亡くした経験がありますが、「胃袋よりも上の癌はしんどい」と言う言葉のように、義父もかなり辛い思いで闘病生活を送っていたことが思い出されます。
きっと彼も、闘病生活の過程では義父と同じような辛い経験を沢山したことでしょう。
ここ数年はお互い忙しく疎遠になっていたとはいえ、私のとって数少ない日本人の友達だったのに。
改めて意外と「死」って身近にあることを再認識させられた出来事。でも、何故か彼のぶんまで頑張って長生きしようとは思えない自分が居ます。
確かに死んでしまうこと自体は嫌ですが、別にこの世から自分が居なくなることに恐怖心は湧きません。
むしろ、「人生を卒業する」くらいにしか感じられないのは、どこか心が病んでいるのでしょか。
人生の1つの目標でもあった「世帯主」、「主人」、「親」という称号も取得しましたし、「祖父」の称号については子供たちにもその気はなさそうだし半分諦めていますが、私の人生ってこんなもんなんでしょう(苦笑)。
別に旧友の彼より先に人生を卒業することを考えていたわけではありませんが、私のほうが先に癌を患っちゃいましたし、自分でも“そうなるものだ”と思い込んでいたのは確かだと思います。
癌が発覚してわずか半年で他界。。。不謹慎ですが、なんかゲーム終盤に一気に追い抜かれた感覚です。
『お疲れ様、ようやくゆっくり眠れるね。じきに生前のリベンジに行くんで待っててね。』
。。。。彼に対して、こんな言葉しか思い浮かばない自分が情けないです。