2人の子供たちも離れて暮らし、残された夫婦の生活もマンネリ化。徐々に会話も少なくなるのは仕方ないのかもしれません。
我が家は「癌夫婦」ですので、話題もどちらかと言うと『湿っぽい』ものに成りがちなのは仕方ないのかなぁと感じています。
ただ、我が家にはご存知の方も多いかと思いますが“箱入り娘”がおりまして、彼女の存在は我が家の「生活の中心」、ある時は「癒し」、またある時は「元気の源」、かけがえのない存在。
片道300km以上離れたブリーダーさんのところへ迎えに行ったことは、今でも懐かしく思い出されます。
そんな彼女も来月で4歳。。。。。ここで、このブログを贔屓にされている方はお気づきかもしれません。
そうなんです、丁度かみさんの癌が発覚した年と重なっているんですねぇ。。。そこには、ちょっとした物語がたったんで紹介さてくださいね。
我が家は以前から小型犬を家族として迎えておりまして、当時は我が家で出産した2代目となる老犬ミニチュアダックスフンド(♀)と暮らしておりました。
ちょうど1代目を出産させ4匹の仔犬に恵まれたのですが、全てを嫁がせてしまう寂しさもあり1匹だけ手元に残し親子で飼っていたのです。
幸せに過ごしていた親子でしたが、親犬のほうがヘルニアで下半身不随を患い入退院を繰り返すも他界。
当時は、「こんなに別れが辛いのだから、残された娘犬を最後にしよう」と、一層残された娘犬へ愛情を注ぐようになって行ったのは言うまでもありません。
一旦は平穏を取り戻した愛犬との生活も長くは続かず、娘犬とも別れが訪れるのでした。
実は娘犬のほうも心臓に持病を抱えていて、癌の手術と時期は重なるものの最近調子が悪そうな娘犬を掛かり付けの病院へ預けた矢先の出来事でした。
処置の甲斐なく娘犬の急死。運悪く癌が発覚し手術前入院中のかみさんのもとへ連絡が入ったのでした。
急遽事情を説明し、緊急外出扱いでかみさんが帰宅したのは言うまでもありません。
親犬と同じように葬儀を行い送り出してやったものの、自らが親から取り上げた娘を失ったかみさんの落胆は、私が想像する以上のものだったと思います。
手術を控えている身ですし、心配だったのは体力面もそうですが精神状態。
こんな状態で手術を受けでも大丈夫なのだろうか・・・。
かみさんが受ける手術の内容など詳細を知らない私は、彼女に大した言葉をかけてやることもできず狼狽えるしかできませんでしたねぇ。。。(この時ばかりは、自分が如何に頼れない男なのかを痛感した記憶が甦ってきました)。
幸い手術は成功し無事戻って来たかみさん。しかし、玄関までいつも出迎えてくれる娘の姿はありません。
部屋に籠り小さなツボに入った娘を抱き抱え、昔の写真を眺めながら肩を震わせる日々が続くのでした。
当然私も落胆していなかったわけではありませんが、むしろ何もしてやれない自分への腹立たしさの感情の方が強かったのでした。
かみさんは粛々と術後の治療に勤しみ、私はただそれを見守るだけの会話のない生活が始まり。
家族を失った悲しみが支配する空間、術後の経過が順調なことくらいがせめてもの救いでした。
思い出の詰まった愛用していたケージ、首輪、おもちゃ達、何一つ片づける気にはならない二人は、しばらくの間単純に時間を消化するだけの生活を送っていたのでした。
そんなある日、かみさんが私にこう切り出してきたのでした。
「やっぱり、もう一度犬と暮らしたいんだけど、どう思う?」
二言返事を返した私。
そこから新しい家族を向けるべくブリーダー情報などを調べ始め、遠距離ではあるが思いに叶った出会いが期待できそうな相手に巡り合えたのでした。
迎えに行った際、同じ時期に生まれた2匹の兄弟たちを含め3匹の仔犬たちが元気よくはしゃいでいましたが、運命的に選んだ1匹が今の3代目となるわけです。
こうして我が家は、再び活気を取り戻しました。
ようやく先代の話も笑いながらできるようになり、3代目の彼女が私たちの生活の中心に君臨するにはそう時間はかからず現在に至っています。
新しい我が家のアイドルとして、周囲に元気を振りまいてくれる3代目との生活は充実しているという言葉が一番当てはまっている我が家。
ただ、時々ふと頭をよぎることがあるのですが、それは、
「我が家の都合で親兄弟と引き離された彼女は、私たちとの生活を幸せにおもっているのだろうか」
ということ。
時々そう問いかけてはみるものの、ただシッポを振りながら見つめ返してくれるだけ。
彼女の幸せを最優先すれば、親兄弟とずっと一緒に暮らしてたほうが良かったのかなぁ。。。少なくとも自分の意思で我が家に来たわけではないですし。
「家族は大事」だとか、「生き物は大切に」だとか言ってるわりには、人間って自己中心的な生き物だと思うのは私だけでしょうか。